フレディvsジェイソン

すっごいバカにしながら観たんだけどね(笑)
意外な面白さで。
エルム街の悪夢』と『13日の金曜日』の素晴らしい融合。

まあ、バカバカしいことには間違いないんだけど。
ホラー映画ですから。

アウトレイジ ビヨンド

実を言うと、前作『アウトレイジ』を観ていない。
なので、前作に比べてうんぬんというようなことはさっぱりわからないのだけれど、今作だけを観た感想を言えば、非っ常に面白かった。大満足。
前作と比べると若干肩透かしというような感想もみたけれど、「北野映画といえば暴力描写」という期待を抱いている人にはそうだったのかなと。それくらい暴力描写はぬるめ。直接的な暴力シーンは少ないし、銃撃シーンも軽い。(その数少ない暴力シーンはなかなかのインパクトで、流石だったけど)


北野武のヤクザ映画というと『ソナチネ』や『その男、凶暴につき』のイメージがあってあの辺の映画は苦手なのであんまり観る気がなかったのだけど、『アウトレイジ』は暴力についての映画じゃなかったんだね。どちらかというとサスペンス?人間ドラマ?
観ていて終始感じていたことは、ヤクザも『組織』であり、中にいるのは『人間』であるという点では、結局企業とかと同じだよなということ。それゆえに、この組織の内部争いも組織同士の攻防も、見ていてとても面白い。やっているのがヤクザだというだけで、例えば山崎豊子の小説で政治家や医者が権力抗争をしてる様とこの映画と、何も違わないよなと思いながら観ておりました。
そして翻って気付かされたのは、そういう社会派ドラマだとか小説だとか、少なくとも私は、社会問題うんぬんと言いつつも、人間同士の騙しすかし合いが見たいのだということは否めないね。そして、この作品。その騙しすかし合いがもう面白いこと。小日向文世演じるマル暴刑事の狂言回しのお陰が8割なんだけどさ。あいつ、グッジョブ。いやー、他人の揉め事を面白がるこの性よ。


ピンポイントで素晴らしいなと思った箇所は、上げる始めるときりがない。
一番素晴らしいと思ったのはラスト。意表をつかれるラストで賛否両論あるようですが、私は断然支持。あそこを片付けたのは非常にすっきりしたし、あの先は描く必要ないよなと。あまりに唐突だったので「え?」と一瞬思ったけれど、同時に「だよね!」と思いました。あそこで潔く終わったのは、大拍手。
もう一つ印象的だったのが、バッティングセンターのシーン。あの、他に誰もいないバッティングセンターでボールがぶつかるのを引きでしばらく映して、長いなー・・・と思ってると、まださらにアップでしばらく映すという。その間響き続けるボールの衝突音。素晴らしい酷さだなと思いました。
あとはねー、桐谷健太新井浩文の死体っぷり。ドラマや映画の死体って、死体に見えないことが多い気がするんだけど、あの二人の死体は「おお、死体だ」って。なにがそう見えたのかはよくわからないんだけど。彼ら良かったよね。
あとねーあとねー、高橋克典を筆頭とした殺し屋集団!あの立ち居振る舞い。後ろ姿。無駄にかっこよかったね。ナニこの最強集団(笑)という感じでだいぶ現実離れしてたけど、いいんだよ!あれはサービスショットだよ!多分!!
という具合に、素晴らしい点をあげていくとキリがない。他にもたくさんある。(しかしこうやって書くと、やっぱりいちいち不穏だなー・笑)


まあ確かに銃撃シーンが軽すぎるというのは私も感じたし、西田敏行神山繁の関西弁はおかしかったのかもしれない。私は関西弁はよくわかんないけど、西田敏行の演技は役者として上手すぎてかえって違和感を感じたりしたし。
でもそんなことはどうでもいいくらい面白かったです。


いいもの観たよ。


アウトレイジ』も観なくては。

最近

ここ数日、なんか暗い気分から抜け出せずにいる。そこにまた先日、「雪国まいたけは独自に放射線量の検査もやってます☆」みないなCMみて、暗くなってた気持ちに拍車がかかった。なんなの、ソレ。いやでもまあ、そうだよね。それは今や、大事な宣伝ポイントだよね。はぁ・・・そんなCMが流れる近未来は、創作の中だけにして欲しかったよ。


半年前、地震が起きて津波が来て原発がやられて街が暗くなって世間がざわざわしていた頃、どちらかというと私は楽観視している部分があって、実はそんなに落ち込んだりしていなかったなあと今になって思う。もちろん「これは大変なことになった」とは思ったけど「しばらく大変だけど、大丈夫大丈夫。」そう思ってた。


でも、余震もだいぶ減って、被災地の仮設住宅も建って、自衛隊も撤退して、節電の夏も終えて、半年経ったのだけれども、事態がいい方向に動いているように思えなくて、むしろ悪いところばかりが見えてきて、なんか今さらずしーんとしている。遅いよ。


我ながら、暗くなっててもしょうがないと思うから、この気分から抜け出そうと思うのだけど、周りを見回してみても抜け出す術は見当たらず。


どうしたもんかなと思いながら、私はすぐに寝ちゃうんだけどさ。

13日目

今日は朝から大きな余震が連発しました。福島で震度5強。余震というには随分と大きな地震なのに、もうそこまで驚かなくなりました。最近は揺れていなくても揺れているような気がしていますが、今朝の地震ではなんだか揺れに酔って気持ち悪くなりました。気持ち悪いなーと思いながら通勤していたら電車の中でも緊急地震警報が鳴り渡り、電車が駅にしばらく停車しました。相変わらず電車の中での緊急地震警報は恐ろしいです。
昼間は仕事を淡々とこなしていたら、夕方から急に仕事が大量に降って沸いてきました。こんな時でも、業後に予定があると夕方に仕事が発生する法則は有効なのかと思いつつ、大地震発生後初めて、会社帰りに新宿へと向かったのでした。(仕事は全て「明日でもいいよね?」で押し切り。地震発生前と変わってないじゃないか。)



念願のハシヤのパスタを友人と。
って、地震の前の週にも食べてるんだけどね(笑)
正直、寄り道をして帰るのがこんなに心細いとはなあと思いました。震災以降、自分が普段使っている路線以外の場所で何かあったらと思うと不安になるのは否めない。でも、これは早く慣れた方がいいなあと思いました。萎縮してばかりもいられない。
新宿のお店は、開いていたり、閉まっていたり。東口で少しだけ外の様子を見ましたが、街が暗かったです。でも人の多さは相変わらずで、なんだかアンバランスな印象でした。ハシヤでパスタを食べた後、もう一杯くらい飲んで帰ろうかと思ったけれど、開いているお店は意外にも人でいっぱいでした。なんだ結構みんな元気じゃないかと思った次第。
というわけで、地震以前も地震以後の今も混んでいるお店は嫌いなので、8時前には解散して帰ってまいりました。早過ぎる。


東京では浄水場の水から放射性物質が検出されました。乳児への水道水の摂取制限が出ました。乳児を抱えた家庭や妊婦のみなさんは気が気ではないと思います。子供のいる友人たちが気がかりです。
大人たちよ。自分のために水を買い占めてはいけません。
私たちは、水がないならビールを飲めばいいじゃない!って強がっとく。

12日目

地震発生からの記録をつけようとブログを復活したわけですが。
勢いに乗って最初の3日分が超絶長くなってしまったので、そんな勢いが続くわけもなく。
その後もいろいろ書き散らかしてはいるけれど、完成にはいたらズ。
何をやってるんだ私は、という感じになっております。


とりあえず、現状。


私自身は、自分がすべきことは「義援金」「節電」そして「きちんと働くこと」と心得て、日々過ごしています。仕事、嫌いなんだけどねっ!今回、経済は社会が動かすもの。そして社会はぼんやりとしたよくわからないものではなく、自分なんだと自覚しました。誰かが動かしているらしい経済に無自覚にのっかるような生活は、少なくとも今のこの状態ではできない。と、私は思う。働ける人間は働きます。


世の中は、今や計画停電が実施されても大混乱が起こることもなく。
若干、世間も東電も慣れてきたんでしょうか。職場でも「夜、停電なので」と言って早退する人もいなくなりました。ただ同僚が「停電すると、帰り道の国道を渡るのが命がけ」と言っていたのが非常に気にかかってはいるのですが。
申し訳ないことに我が家はなぜか停電対象から完全に外されているようで、一度も、停電の可能性にすらひっかかっておりません。申し訳ないので近くが停電している時は一緒になって電気を消してみたりしています。
原発原発をめぐる問題はとても心配ですが、もうあれはプロに任せます。専門家の意見には幅広く耳を傾けて、慎重に見守りたいと思います。


被災地に思いを馳せると、正直うまく馳せれていない自分がいます。「思いはひとつ」と言いますが、多分私が感じているよりも現地は過酷なんであって、ちっともひとつではないのではないかと思っている自分がいます。先日、海外メディアが公開したという遺体安置所の写真を見て、とても重い衝撃を受けました。公開の賛否はともかく、あの写真には現実の重さをつきつけられた。自分があの中で、自分の家族を探す立場になることを想像したら、ぞっとしました。そんな中でも踏ん張って、励ましあって、前を向いている人たちがいる。もう自分には想像つかない感情と思います。私に現地の気持ちが正確に理解できるわけがないと思っています。


つらい人とつらくない人と不平不満を言う人と黙って耐える人と思いやる人と思いやりのない人と悲しむ人と楽しむ人と色んな感情が社会の中でうずまいて、最後は飽和して拡散していくようなイメージが、頭の中でぐるぐるしている今日この頃です。


あと、「忘れない」ってことがそのうち課題になっていくなあと、ぼんやりと感じ始めています。




3日目

朝起きると、相変わらずの地震報道一色だった。この日は朝ごはんを食べると、電車で2駅移動して、テレビの耐震用シールを買うために電気屋に行った。テレビを買い替えた時から、"耐震、やらないとねぇ"と言い続けて結局まだ何もしていなかった。電気屋で置いてある場所を聞くと「うーん、まだあるかどうかわからないけど・・・」と言いながら案内をしてくれた。皆考えることは一緒だった。商品はほとんどなくなっていて、私たちが買ったのは大型テレビ用の最後の一つだった。電気屋は、節電というほどは節電していなかった。数台のテレビは節電と称して画面が消されていたが、点いているテレビもたくさんあった。その中の一台でいつも見ているテレビ東京のケンタロウの料理番組がやっていて、見逃したーと思いながら眺めたが、後から思えば、テレ東はあの時間にはすでに通常番組を放送していたということだった。電気屋で買い物を終えると、デパートの惣菜コーナーで夕飯のおかずを買い、おやつにたいやきを買って帰った。昼間は、個人的にはほとんど平和な日曜日の様を呈していた。
ただ、結構疲れていた。余震はまだ続いていたし、気は張っていたはずだ。夕方ころ猛烈に眠くなって居眠りをしたりしていた。
原発の問題はどんどん深刻になっていっているようだった。福島第一原発の1号機が爆発したという情報があった。なかなか衝撃的な映像がテレビで流れていたが、原発の知識がない私にはどれほどの問題なのか良くわからなかった。東京にまで影響は及ぶのか。ただ、爆発映像には"もう終わりだ"と思わせるくらいのインパクトがあった。テレビでは、枝野官房長官東京電力の会見がしょっちゅう流れていた。どちらの会見も、記者の質問タイムになると思い思いに聞きたいことをひたすら質問しているので、話しがバラバラと飛んでわかりにくいことこの上なかった。普段、会見場での質問タイムまでまるまる見ることなどないので知らなかったが、こんなに話しがバラバラに飛んだら理解するのが大変だなと思った。枝野さんは安定感のある話し方で、見ているだけで安心した。根気よく記者の質問に答える姿には、感心されられた。私だったら、5分でキレている。とりあえず状況はよくわからないけれど、私はこの官房長官の言うことをよく聞いておくことに決めた。情報を隠蔽しているとかなんとか言われていたけれど、そうなんだろうか?とも思った。それに色んな情報に踊らされて疲れるのは嫌だった。東電の社員への質問は、ほとんど嫌がらせに近いような時もあって、そうなる度にチャンネルを変えた。記者は仕事で色々聞き出そうとしているのだろうが、有益な情報を聞き出そうとしているというよりは、何か間違った発言や記事に都合のいい話題性のあるような発言を引き出そうとしているように聞こえることも多かった。今回、全般的に報道記者というもののレベルには驚かされた(もちろん全ての記者がそうというわけではないけれど)。
どうも輪番停電を月曜から実施するらしいという話しが出始めていた。今回の地震では福島第一原発以外でも発電所が各地で被害を受けていた。電力が足りないという話しだった。夕方から政府が会議を行うとか、夜になったら東電から発表があるとかいうことだった。誰もが思っていたことだと思うが、停電に関してはとにかく発表が遅かった。第一から第五までのグループに分けて順番に3時間づつくらい停電すると言う話しだったが、自宅地域が一体第何グループなのか、情報が錯綜してしばらくは正確にはわからなかった。翌日からは会社が始まるが、そちらも一体どうなるのかさっぱりわからなかった。とりあえず職場のビルが停電対象から外れているらしいことを確認した。電車もどうなるのか分からなかった。全線運休を発表する路線もあった。出社時はきっと混乱することが容易に想像がついた。職場が何らかの判断を下すとも思えなかったので、とりあえずチームのメンバーに各自の判断で無理をせずに出社してくださいとだけメールを送っておいた。
明日から気合を入れていかなくてはいけなそうだと思ったが、停電の情報収集に追われてすっかり寝るのが遅くなってしまった。もういっそ明日は祝日にして、落ち着いて一日調整時間を取ってから企業の活動を再開させればいいのにと思いながら、明日に備えて寝た。

2日目

朝7時前。目が覚めると、点けっぱなしのテレビでは東京電力が会見を行っていた。内容は聞いていなかったけど、今考えるとおそらく福島原発についての報告をしていたのだろう。もそもそと動き出して、ああ、昨日のことは現実なんだなぁと思った。
テレビではひたすら津波の映像が流れていた。東北のありとあらゆる沿岸部の街が、破壊されていた。今までも津波に襲われた街の悲惨な映像は見たことがあったが、そのどれよりもひどかった。街が消え去っていた。田んぼは湖になっていた。現実感が薄かった。都心部の帰宅難民の様子も取り上げられていた。徒歩での帰宅者に飲食店が食料をふるまっていたことや、人が殺到した駅でも大きな騒動は起きなかったことや、停電した道路でも車が譲り合って事故が起きなかったことなどが紹介されていた。後に世界各国でこの様子が賞賛され、アメリカなどは略奪行為が起こらないことに驚愕しているようだった。多分多くの日本人がそうだと思うが、私にはそれがなぜそんなに驚くことなのかピンとこない。普通のことに思える。むしろ、あんな恐怖体験の後で、略奪などと言う(語弊があるかもしれないが)元気な行為がどうしてできるのか、その方が不思議だ。略奪行為をするということは、世間を離れて自分の身は自分で守るから構うなと宣言する事だ。その方が余程怖い。日本はそういう社会だ。
正直、この日の午前中は何をしていたのか覚えていない。テレビをぼーっと眺めていたのかもしれない。余震が続いていたので、あまり家から離れる気にもならなかった。お昼ご飯を食べて、午後に入って台所の片づけを始めた。台所は、洗った食器を置いておく棚が倒れて、流しの上から床まで落下した。置いてあった食器類は豪快に砕け散り、破片が台所中に飛び散っていた。常々この棚は危ないよなと思っていたら思っていたとおりになったので、苦笑するしかなかった。
食料を確認すると、お米ももうすぐなくなりそうだし、常備のインスタント麺も切らしていた。旦那がトイレットペーパーとビールが切れそうだと言ってきた。停電の噂も流れ始めていたので、乾電池も少し買い足した方がいいかもしれないと思った。近所のドンキホーテとドラッグストアとスーパーを回って、買い物を済ませた。このときは、買占め騒動はまだ序盤戦だった。ペットボトルの水を大量に運ぶ人たちを、"頑張るねぇ"なんて思いながら眺めていた。私は、重いのが嫌でお米は2キロしか買わなかった。"早速トイレットペーパーなんて買って、オイルショックじゃないんだからって感じだよね"なんて、旦那と笑いながら話していた。(後にお米もトイレットペーパーも店頭から消えた)
家の近所では二箇所ほど水道管が破裂して、道路に水が流れ出ていた。それ以外に、被害は見当たらなかった。この辺りは、大丈夫だな。そう思った。
この日は暖かかった。夕飯はしょうが焼きと刺身にした。テレビは全部地震情報だった。とにかく東北各地で甚大な被害が出ていることはわかったが、被害の全体像はさっぱりつかめなかった。映像を見いていても、これでは何から手をつけていいのかわからないだろうと想像できた。原発の問題が徐々に大きく取り上げられ始めていた。私はなんだか良くわからないけれど、なんでこんなに地震と縁深い土地で原発と言う手段を取らなくてはいけなかったのか、疑問を感じ始めていた。尋常じゃない電力消費が背景にあるようにも思えた。今さらで恥ずかしいことこの上ないのだが、原発についてちゃんと知らなくてはと思った。twitterでは家族や親戚、友人、知人の安否情報を求める投稿が飛び交っていた。片っ端からRTしたが、役に立っているのかさっぱりわからなかった。そんな中、デマや間違った情報も流れ始めていた。慎重に情報の取捨選択をしなくてはならなくなっていた。
停電の危険性も言われていた。旦那はまだピンときていないらしく節電への姿勢に私とは温度差があって、ちょっと雰囲気が悪くなった。こんなときは寝てしまえと、節電モードと称して早々に布団にもぐった。一度、割と大きな余震があった。この日も怖かったので、テレビはつけたまま寝た。